
山根酒造場
その昔、酒を醸造することを「かむ」と言ったそうです。これは、当時酒を造るのに米を口中で噛みつぶして吐きだし、瓶に貯えて発酵させたことにちなみ、「かもす」はこの「かむ」が変化したものといわれています。
日本語で「かも・す」とは「カミ」という言葉にも通じます。醸す。酒、醤油、味噌など、みな発酵してぶつぶつと音をたてながら動き、周囲との状況で反応が変わる。人ができないことをしてくれる。その発酵の不思議な力に、昔の人はまさに「カミ」を感じたのではないでしょうか。やがて人知が及ぶようになり、醸すは微生物の力によるものと知ります。麹菌や酵母菌の力を借り、米から生まれる農耕民族の酒、日本酒の誕生です。
私たちは、その土地の自然・文化や習慣、人の想いが集約され風土そのものが醸されます。素材の恵みに感謝しながら、「世に媚びない酒造り」を信条としています。
「世に媚びない酒造り」
醸は農なり
グラス一杯のワインを飲んで、
ぶどう畑をイメージすることはできても、
盃にそそがれた一杯の日本酒から、
米や田んぼの姿に思いをはせる人は
少ないのではないでしょうか。
ワインも日本酒も醸造酒であり
素材の品質が味に大きく影響します。
優れた米だからといってよい酒ができるとは限りませんが、
優れた米でなければよい酒はできません。
酒は米のポテンシャルを超えられない。
日置桜の酒造りは、
常に農業の延長線上にあります。



「世に媚びない酒造り」
常に農業の延長線上
山根酒造場は、米の生産者ごとに仕込桶をたてています。基本は他の生産者の米と混ぜない「シングル醸造」です。非常に煩雑で無駄もともない、蔵人にも負荷がかかる方法ですが、やった者だけが得られる成果もありました。それまで製造工程で起きると思われていた要因が、実は米に由来するもので、その田んぼの土壌によるものだったり、除草剤の影響だったり――ずっとブラックボックスの中で片づけられていたことへの様々な発見がありました。
さらには、日置桜を愛飲してくださる方のなかに米生産者のファンも生まれるという現象も起き、農家さんのモチベーションの向上にもつながっています。これこそがシングル醸造の大きな成果だと感じています。
私たちが提唱する「醸は農なり」は、以上のような経緯で生まれた言葉です。当たり前のことをきちんと向き合ってやることの大切さ、伝統産業の誇りを失わないよう、自らを戒める意味でも使っている言葉です。
「世に媚びない酒造り」
食中酒—食をささえるお酒
山根酒造の酒は、“甘くない酒”にあたります。専門用語で言う「完全発酵」という方法です。まずしっかりした醪を発酵させる酛(もと・スターター)を立て、健常な酵母を育てながら醪中の糖分を喰いきらせる酒造りです。日置桜のスタンダート酒は、完全発酵酒醪により日本酒度は+10以上と一般的には大辛口と言われる数値、製成される日本酒度の平均は+14以上なので、数値だけで見ると相当甘くない酒を造っていることになります。
「五味」というものがあります。「甘・辛・苦・渋・酸」で構成される味わいのバランスで、よくペンタゴン(正五角形)の形で表されます。
綺麗なペンタゴンの形ほどバランスの取れた安心感のある味わいとなるのですが、日置桜のしぼりたて新酒は、この「甘」が極端に凹んでいるため、決してバランスの良い形とは言えません。つまり安心感を与える甘味以外が強調され、口に含むと苦くて渋い状態になっています。




「世に媚びない酒造り」
“いい酒”とは―伝えられてきたこと
まずお酒があるのではない。食の隣りで、食を支えるお酒を造ること。家業として、この仕事を継いで以来、このことを大切にしてまいりました。
第三代蔵主だった祖父・山根正徳は、軍隊で調理を担当するなど、食を大切にする人でした。この祖父は、私が大学生の頃、亡くなりました。ある日、東京で学生をしていた私に、父・常愛(第四代蔵主)から祖父が余命幾ばくもないとの知らせが入りました。急遽東京から帰省し見舞いに行くと、私を見た祖父はこう言いました。
「食の邪魔をする酒だけは造ってくれるな」
既にまともな会話ができないほど衰弱したなかで、絞りだすように伝えられた言葉でした。実は祖父と私の関係は、必ずしも良好なものではありませんでした。しかし、それは大切な祖父の遺言です。忘れられない言葉として大事にしつつ、思いだしては悩む謎かけの言葉でした。
「うまい・まずいならいざ知らず、食の邪魔をする酒だなんて、どんな酒をいっているのか ―」
「世に媚びない酒造り」
食を活かす酒
「食を邪魔しない酒」—お酒だけですすんでしまうお酒でなく、食を活かす酒。それは日置桜を醸すうえで、まず大切にする酒の姿となりました。思えば父も、新聞や雑誌で気になる料理をみつけては、切りぬいて買い物にいくような食を大切にする人でした。食と酒がともにある場所には、幸いな空気もまた醸されます。
日置桜という日本酒も、世代交代していくなかで味わいは少しずつ変わってきました。しかしそれは時代に迎合してきたものではなく、今よりもっといい酒にするために、それぞれの代の者が少しずつ違うアプローチをしつづけた結果です。
味を守るという言葉は進化を放棄する逃げの言葉。絶えずワクワクドキドキするような酒をお届けしたい。我々もまだ出会ったことのない酒に出会うために。“いい酒”とは自明のものではないと思うからです。



「世に媚びない酒造り」
蔵元のプライドにかけて
酒とは日本酒に限らず農産物の加工品です。果実や穀類といったその土地で生まれる素材から、その土地の自然・文化や習慣、人の想いが集約され風土そのものが醸されます。素材の恵みに感謝し、それを最大限活かすための知恵や工夫を凝らすのが醸造家のスタンスであり、世界中に存在する醸造家たちのプライドであると考えます。
私たちにもプライドがあります。吹けば飛ぶようなちっぽけなプライドかもしれませんが、私たちにしかできない酒造りは存在し、それらは伝統的なものでありながらただ繰り返しているわけではなく、絶えず不連続の連続から新しい真理を求めています。現状を正しく把握し、あるべき姿を明確にし、そしてあるべき姿の次元を高める。なんでもできるなんておこがましい、何かに特化する。そのひとつの答えとして導き出したものが「酒は純化していくことこそ進化であり、未来に継承されるべきもの」という理念でした。
米作りにプライドをかける生産者、純粋に酒が好きで酒造りにプライドをかける醸造家。互いを高め合いながらモノづくりができる喜び。
この土地の人間臭さ、土臭さ。生まれ育った風土を味わいの中にパノラマのように映し出す、そんな酒を造っていきたいと考えています。